お世話になっております。アシスト・ジャパン株式会社 東京営業部です。
平家物語や源氏物語など、古典を楽しむコツは如何に作中からエモを見つけるかである。
安い居酒屋で、高校時代の友人と飲んでいるときにこの理論を見つけました。
名前がつけられず、しかし心に迫る感情を私たちは【エモ】と呼ぶようになり、
すべからく、【エモい】という感情表現を生み出しました。
ミシン目に沿うように、ただ文章を読むだけでは面白くない。
レモン酎ハイではなく、一杯目のビールを美味しく感じられる年齢になって、初めて【エモ】を見つけることが大事なのだと気づきました。
では、1リットルのレモンティーを愛飲していた当時は楽しんでいなかったのかと問われると、決してそうではありません。それなりに楽しんでいました。
ただ、その楽しみに名前を付けられなかった。壇ノ浦の戦いの最後。闘鶏にかけるゲン担ぎ。それぞれに意味を見出しつつ、一括りにする言葉を見つけられなかった。
感情はどこから生み出されるのか。それは言葉である。大学の講義で印象に残っている教えです。
幼い子どもは悲しいときも怒っている時もただ涙を流すのみです。それは、まだ彼らに己の勘定を表す言葉を持っていないから。ただ、湧き上がる熱に圧されて、声を上げる。
コンテンツに対する感情もそうです。言葉を得られないままでは「面白い」「感動した」等、簡単な表現でしか素晴らしさを語ることができません。
なので、語彙は日々積み重ね、アップデートを重ねていかなければならないと考えます。
素晴らしいものに出会ったとき、それらを表すに相応しい言葉は、果たして存在するのかどうか。日々、模索しながら過ごしていけば、いずれは絵や里の風景、毬打つ音、すみれの一本一本に装飾を飾られることを信じて。
ちなみに、私はこれまでの推しとの出会いで【ハラショー】【シャイニー】【ギャラクシー】という感情を得ることができました。尊い。